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1億人以上の弟子を持つ佐々井秀嶺氏の大改宗式

1億人を超えるインドの仏教徒の頂点に、日本人の僧侶がいます。佐々井秀嶺氏です。氏が受け継いだ大改宗式は、毎年10月にナグプールで開かれます。インド留学プラスは毎年この式典にボランティアとして参加しています。

最終更新日: 2026-09-22

1億人以上の仏教徒を率いる日本人僧・佐々井秀嶺氏

インドの仏教徒の頂点に立っているのは、日本人です。佐々井秀嶺(ささい しゅうれい)氏。1935 年に岡山県で生まれ、1968 年から中インドのナグプールに住み、半世紀以上にわたってインドの仏教復興運動を先頭で率いてきた僧侶です。1988 年にはインド国籍を取得し、インドでは「バンテージ(尊者)」と呼ばれています。

インドの仏教徒の数は公的な統計より実態がはるかに多いとされ、文春オンラインは「インド仏教徒 1 億 5000 万人の頂点に立つ日本人僧」と紹介しています(文春オンライン)。1 億人以上の弟子を持つ日本人 — この一言だけで、日本ではほとんど知られていないこの人物の大きさが伝わると思います。

佐々井氏が受け継ぎ、毎年ナグプールで先頭に立っている式典が、この記事の主題である大改宗式です。インド留学プラスの現地スタッフは、この式典に毎年ボランティアとして参加しています。

大改宗式 — 1956年10月、50万人以上がナグプールで改宗した

1956 年 10 月 14 日と 15 日、ナグプールの広場で、インド憲法の起草者ビームラーオ・アンベードカル博士がヒンドゥー教を離れて仏教に改宗しました。同じ場所で、博士に続いて50 万人以上の人々が一斉に改宗しています(14 日に約 38 万人、15 日に約 22 万人と記録されています)。カースト制度の外に置かれ、差別を受け続けてきたダリットと呼ばれる人々が、差別の構造そのものから離れる道として仏教を選んだ出来事です。

この広場は現在ディークシャーブーミ(Deekshabhoomi・「改宗の地」)と呼ばれ、白い大きなストゥーパが建っています。ここで毎年開かれる記念式典が「ダンマチャクラ・プラヴァルタン・ディン(法輪転起の日)」、日本では大改宗式と呼ばれる行事です。

ディークシャーブーミの大改宗式会場。アンベードカル博士の肖像を掲げたテントで得度式が進む
第 67 回(2023 年)の会場。アンベードカル博士の肖像の下で、僧侶の列が得度式を進めています

開催は毎年 10 月ごろ — 日にちは年によって動く

式典はヒンドゥー暦のヴィジャヤダシャミ(ダシャラー)の日に開かれるため、毎年 10 月ごろ、日にちは年によって動きます。当日はインド各地から数十万人が集まり、マハーラーシュトラ州各地からナグプールへ特別列車が増発されます。式典の中で新たに仏教徒となる人も多く、近年は 1 日で 6 万人を超える年もありました。

メインイベントは、改宗広場での佐々井氏の説法です。スピーカーを通して広場全体に響く声を、現地スタッフは「まっすぐで力のある声。会場の空気がひとつになったような感覚」と記録しています。

佐々井氏が半世紀かけてインド仏教に残したもの

佐々井氏がナグプールに着いた 1968 年は、アンベードカル博士が世を去ってから 12 年後です。指導者を失った改宗仏教徒たちのもとに、言葉も通じない日本人の僧が現れ、そのまま住み着きました。以来の歩みをたどると、現在のインド仏教の骨格の多くを佐々井氏がつくってきたことが分かります。

  1. 1935岡山県に生まれる
  2. 1960高尾山薬王院で得度し、法名「秀嶺」を受ける
  3. 1967タイ留学を経てインドへ渡る
  4. 1968龍樹菩薩の霊告を受けたとしてナグプールへ移り、布教を始める
  5. 1969ナグプールにインドラ寺(インドラ・ブッダ・ヴィハール)を建立
  6. 1970アンベードカル博士の遺骨をナグプールに分祀
  7. 198860万人の署名を受けてインド国籍を取得(インド名アーリヤ・ナーガールジュナ)
  8. 1992ブッダガヤ大菩提寺の管理権奪還運動を始める
  9. 1998龍樹ゆかりのマンセル遺跡の発掘を始める
  10. 2003インド政府少数者委員会の仏教代表に就任
  11. 2010ナグプール郊外に龍樹菩薩大寺を建立

ブッダガヤ大菩提寺の管理権を仏教徒の手に

釈迦が悟りを開いた地ブッダガヤの大菩提寺は、仏教最大の聖地でありながら、1949 年の法律でヒンドゥー教徒が多数を占める委員会に管理されてきました。佐々井氏は 1992 年からその管理権を仏教徒へ返すよう求める運動を率いており、130 年に及ぶ争いは最高裁の判断を待つ段階に来ています。

龍樹の遺跡を掘り、大寺を建てる

佐々井氏をナグプールへ導いたとされる龍樹(ナーガールジュナ)は、2 世紀の大乗仏教の祖師です。氏は龍樹ゆかりの地とされるマンセルの遺跡発掘を 1998 年に始め、2010 年にはナグプール郊外に龍樹菩薩大寺を建立しました。その敷地には東日本大震災の犠牲者を悼む慰霊碑があり、この記事のトップ画像は、その碑の前で佐々井氏が来訪者に語りかけている場面です。

日本人の得度 — 南天会と毎年のナグプール

佐々井氏の活動を日本から支える団体が南天会です。毎年、大改宗式に合わせて多くの日本人がナグプールを訪れ、法衣をまとって得度(出家の誓い)を受けています。会場では、剃髪した日本人の僧侶たちが合掌して並ぶ場面に出会います。

大改宗式の会場で得度を受け、合掌して並ぶ日本人の僧侶たち
得度を受けた日本人の僧侶たち。手前の白い服の参列者も日本から来た人たちです(2023 年)

もっと知りたい方へ

佐々井氏の歩みは、白石あづさ氏の『佐々井秀嶺、インドに笑う』が読みやすい入門書です。山際素男氏の『破天』はインドでの闘いの歩みを描いた長編で、氏自身の著書には『必生 闘う仏教』があります。

アンベードカル — 憲法を書き、仏教を選んだ人

ビームラーオ・アンベードカル(1891〜1956)は、カースト制度の外に置かれたダリットの家に生まれました。学校では教室の隅に座らされ、水を飲むことも許されない少年時代を過ごしながら、奨学金を得て米コロンビア大学とロンドンで学び、経済学と法学の学位を取って帰国します。

独立後はインド憲法の起草委員長として、カーストによる差別の禁止と不可触民制の廃止を憲法に書き込み、初代法務大臣も務めました。インドでは今も「バーバーサーヘブ(敬愛する父)」と呼ばれ、街のあちこちに青いスーツの銅像が立っています。

博士が残した標語が「Educate, Agitate, Organize(教育せよ、団結せよ、行動せよ)」です。法律で差別を禁じても、社会の中の差別はすぐには消えない。だから博士は、生まれで人を分けない仏教への改宗を、人々が自ら誇りを取り戻す道として選びました。1956 年 10 月の大改宗式はその集大成で、博士はそのわずか 2 か月後、同年 12 月 6 日に世を去っています。

カースト制度やインドの宗教構成といった背景は、インドの宗教・文化を知るにまとめています。

ガンジーとアンベードカル — 解放の考え方が違った二人

日本でインドの偉人といえばガンジーです。ガンジーもまた不可触民差別の撤廃を説き、彼らを「ハリジャン(神の子)」と呼びました。ただ、同じ目標を掲げた二人の考え方は、根本のところで違っていました。

1932 年、イギリス政府はダリットに独自の議席を選ぶ「分離選挙区」を認めました。アンベードカルが求めてきたものです。これに対してガンジーは、ヒンドゥー社会が分断されるとして反対し、プネーの獄中で死を賭した断食に入ります。国中が揺れるなか、アンベードカルは分離選挙区を取り下げ、代わりに一般選挙区の中にダリットの留保議席を設ける案で妥協しました。これがプーナ協定(1932 年 9 月 24 日)です。

ガンジーは、ヒンドゥー教の内側から人々の心を変えることで差別をなくそうとしました。カースト制度そのものは否定していません。一方のアンベードカルは、制度が残るかぎり差別は残ると考え、制度の廃絶と、最終的にはヒンドゥー教を離れることを選びました。どちらが正しかったかを決める記事ではありません。ただ、ナグプールに集まる人々にとっての英雄がガンジーではなくアンベードカルであることを知っておくと、会場の青い旗や肖像の意味が変わって見えます。

現地スタッフ畑中の2025年 — 薬の補充から食事配りまで

インド留学プラスの現地スタッフ畑中は、バンガロールを拠点に、2025 年で 4 回目となるナグプール訪問を note に記録しています。往路は列車で約 30 時間(9 時間の遅れを含む)。バンガロールのカンナダ語からナグプールのマラーティー語へ、車窓とともに言葉も変わっていきます。

インドラ寺での医療ボランティア

佐々井氏が暮らすインドラ寺には、式典の前後、病院に行けず薬を買うこともままならない人々が集まります。女性医師が短い診察で処方を判断し、畑中は薬の整理と補充を担当しました。市販薬では手の届かない重い症状の人も訪れ、医療格差の大きさをそのまま目の前に見ることになったと書いています。

インドラ寺の前で薬を配るボランティアの机と、順番を待って並ぶ人々
インドラ寺の前で薬を配る机。医師の隣で薬を補充する畑中と、順番を待つ人々の列(2025 年)

BEDC のブース設営

BEDC(Bhim Entrepreneurship Development Council)は、アンベードカル博士の思想を継いで教育支援・職業訓練・起業支援を行う団体です。畑中はディークシャーブーミの会場でブースの設営を手伝いました。パンフレットを受け取り、スタッフの説明に真剣に耳を傾ける来訪者の姿に、「こうした活動が誰かの未来を変えるきっかけになるかもしれない」と記しています。

説法、日本人との再会、そして食事配り

式典当日は改宗広場で佐々井氏の説法を聞き、南天会とともに得度に来た日本人たちや、バンガロール在住の日本人起業家と再会しました。タミル・ナードゥ州から来た仏教徒のグループがタミル語だけで集会を開く場面にも出会い、1956 年に始まった現代インド仏教がナグプールを越えて南インドにも広がっていることを実感したそうです。

滞在最終日はインドラ寺で食事を配るボランティアに加わりました。笑顔で次々と食事を受け取っていく人々を前に、しっくりくる言葉は「支援」より「分かち合う」だったといいます。「また来年もこの場所に戻りたい」— そう書き残して、30 時間の列車でバンガロールへ戻りました。

改宗広場の壇上でマイクを握って説法する佐々井秀嶺氏
改宗広場の壇上で説法する佐々井氏。背後にはアンベードカル博士の写真(2025 年)
ディークシャーブーミの BEDC ブースで現地スタッフたちと並ぶ畑中
ディークシャーブーミの BEDC ブースで、団体のスタッフたちと(2025 年)
インドラ寺の前で、座って待つ人々に食事を配る畑中
滞在最終日、インドラ寺の前で食事を配る畑中

インド留学プラスは毎年ボランティア参加しています — 一緒に行きませんか

インド留学プラスは、毎年 10 月の大改宗式にスタッフがボランティアとして参加しています。留学先のバンガロールからナグプールへは飛行機で約 1 時間半。留学期間が 10 月に重なる方は、週末を挟んだ 2〜3 日の日程で、数十万人が集まる広場に立ち、1 億人以上の仏教徒を率いる日本人僧の説法を聞くことができます。

英語留学の本筋から見れば寄り道です。ただ、インドという国がどれほど多くの層でできているかを、教室の中で知ることはできません。日本人が半世紀かけて築いてきたものを、日本人の留学生として自分の目で見て、その場で手を動かす — インドにいる期間にしか手の届かない体験です。

参加をご希望の方は、留学のプランを選ぶ段階でお知らせください。日程の組み方、ナグプールまでの移動、現地での過ごし方まで、毎年通っているスタッフがご案内します。まずはお問い合わせからご相談ください。

大改宗式のよくある質問

01仏教徒でなくても参加できますか?

参加できます。会場のディークシャーブーミは誰でも入れる公共の場で、インド各地から仏教徒以外の見学者も訪れます。式典は改宗の誓いを立てる人のためのものなので、見学する側は静かに見守る姿勢でいれば問題ありません。

02服装や振る舞いで気をつけることはありますか?

宗教行事なので、肌の露出が少なく清潔な服装が無難です。参列者の多くは白い服を着ています。寺院に入るときは靴を脱ぎ、仏像や僧侶を背にした記念撮影は避けてください。写真を撮るときは一声かけると、たいてい快く応じてもらえます。

03バンガロールからナグプールへはどう行きますか?

飛行機なら直行便で約1時間半です。列車もありますが、現地スタッフが利用したときは約30時間(遅延を含む)かかりました。式典の前後は特別列車が増発されるほど混み合うので、航空券と宿は早めに押さえてください。

04留学期間と重なれば必ず参加できますか?

開催日はヒンドゥー暦のヴィジャヤダシャミに合わせて毎年変わり、10月ごろのどこかになります。その年の日程はお問い合わせいただければお伝えします。留学中に日程が重なる方には、現地スタッフが渡航の手配や現地での動き方をご案内します。語学学校の授業を休む日数も含めて、お申し込み前にご相談ください。

この記事の執筆・編集: インド留学プラス

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